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発掘。昔書いた日記を起こしてみた。 [過去の自分]

2003年の3月22日の日記がでできた。

ので、ちょっぴり当時を思い出しながらこちらにのっけてみようと思う。

言葉使いとか、若干、いやらしい感じだったり、変だったりするけど、そのへんはまんま転載しておく。


2003年3月22日

「さよなら がっこう」

卒業のシーズンだ。がっこうとお別れ。でもそれはがっこうを卒業するだけで、いつでもそこにはがっこうはあるのだ。

地図の上にもきちんと鎮座まします、わが母校。その母校が地図から消えていく。本当の意味での「さよなら、がっこう」なのだ。

過疎の地わがふるさとは、人口3万人を切ってもなお、「市」として機能しているものの、少子化、高齢化、若者の都会への流出などにより、ほそぼそと自然の中に置き去りにされている。

それはそれで水、空気ともに美しく、住む人間も親切であり、また厳しい隣組などの取り決めなどもあり、昔からの良い風習が残っているのんびりした土地である。ときどき帰省するときなど本当に開放される。

そら、つち、みず、かぜ、全てが昔のままの透き通った魂のままそこに在る。そうして建物、人は、風化していく寂しさはあるが、それらの恩恵をうけながらゆっくりと、すすぼけていく様もまた味わい深い。
そんな土地であるから、私の母校の小学校は既にない。

もっと山の中の複式学級の学校と合計4校統合で一つの学校となり、ワックスなどなくてもぴかぴかだった長いろうかをはだしでかけていたあの校舎は取り壊されて今は更地だ。

木のぬくもりを足の裏で感じていたあの校舎はその後若い先生たちが水びたしのモップで掃除の指導をする事で白くすすぼけて、天然の木の持つ美しさをだいなしにしてしまった。

雑巾は硬く絞ることを誰もしらなかったのだろうか。からぶきをして仕上げることを誰も教えなかったのだろうか。
小学校がなくなるときも悲しかったが、今度はまさかの高校がやはり4校統合で一つになる。

今年の卒業生でもともとの名前の学校を卒業する生徒はいなくなる。来年からは別の名前の学校の生徒として卒業する事になる。
インターネット上でその母校の名前をみつけた。そこにはこう書いてあった。

「3月22日土曜日午後二時から地元のテレビ番組の取材があります。校歌をOBで歌ってそれを携帯の着歌として配信します。」

どうやら地元にいるOBがテレビで校歌を着歌にする企画にメールで申し込んだらしい。

本当に最後の最後でこんな企画にたまたま応募しようとしたその人に私は拍手を送りたい。そしてそれを採用してくれたテレビ局の方々に感謝したい。

私は地元の友人にメールを打ったが知らなかった。

それで妹にも連絡してみた。さすがにサブカルチャー通の妹はその番組もチェックしていたらしく、知っていた。が、どうしても用事があっていけないらしい。

母に連絡してみた。「へえ~しらんやった。」のんびりした声が返ってきた。

私は実はこの書き込みを見てから日帰りで帰ろうかどうか心のそこで迷っていたのだ。しかし、こんなに熱くなっているのが私の知りうる限りで関西に住んでいる私だけだという事実にがっかりした、と、同時に大人気ないかしらんと恥ずかしくなった。

友人はとりあえず間に合うから行ってみる。どうして関西のあなたがそんな情報通なんだ?と返事がきた。いや、だから、ちょっと遠方だから熱くなりすぎてるのかも。すんません。でも一人でも知り合いがその最後の校歌の現場を体験してくれることになったのでなんだか私もうれしい気持ちになった。

時計は二時を回った。

ああ。いまごろ校歌歌っているのかなあ、私はぼんやりそう思った。

その時電話がなった。母だった。

「いまねえ、グラウンドにあつまっとるよ。なんかね〇〇さんとか言う人がメールを送ってから、その時の代の子たちが中心でからあつまっとるごたる。」

なんと母が現地リポーターよろしく実況してくれている。遠くで司会の人らしき声が聞こえている。

「今から練習とかして、まだ時間がかかりそう。」

そういっていったん電話を切った。
車で15分。さっき連絡したときはあまり興味なさそうな様子だったのに、電話の向こうの声はすこし張り切っていたようだ。

すこし雨交じりの天気の中、母がグラウンドを見ている様子がなんとなく伝わった。おそらく肌寒い風が吹いているはず。
再び電話がなった。

「いよいよ歌うよ!」

そういって電話をグラウンドに向けている母。風の音と人のざわめきが軽いノイズの向こうに聞こえる。

「・・・あ~まだ歌わんねえ。伴奏もないし練習だわね。」

「もういいよ、電話代ももったいないし、ありがとう。番組がオンエアされたらビデオにとってよ。」

私はそういって電話を切るよう促した。

そうだ、ビデオでいいや。気持ちがすこし落ち着いてきた私は冷静にそう思った。
3回目の電話がなった。母だった。

「もしもし」

私がそういった向こう側には母の声はなかった。その代わりに懐かしいメロディーがはるか向こう側から響いてきた。

校歌だ。

私は携帯の受話器の中のノイズに蹴散らされそうな音符たちを捕まえるように耳をすませた。

「てんぶんゆたかにはっきせん」

意味もわからず歌っていた歌詞が記憶の中からあぶり出しのように浮かび上がってきた。

つづいて私の目には懐かしい気持ちが溢れてきた。

「さよなら、がっこう」、いい思い出はなかったように思っていた、でも記憶の中には楽しかった気持ちが溢れている、気持ちだけが刻まれている。

物事のディテールはもはやデフォルメされており、自分に都合の良い楽しさだけなのかもしれない。

でも、たしかに受話器の向こうの場所に私がいた、そこから始まったこともあった。記憶の中のその場所は今度こそ本当に幻になるのだ。

「きこえたね?」
「うん、歌は聞こえんかったけど、伴奏はきこえた。」
「ブラスバンドの演奏だよ。」
「ありがとう。」
「よかったねえ。」
「本当にもう最後やけんね。」
「感動したね?」
「感動した。」
「お母さんもちょっと感動した。」
「電話してよかったねえ。私。」
「うん、よかった。聞けてよかった。」

「ありがとう。」

電話を切る前に母に私が言った言葉は受話器の向こうのがっこうにも聞こえただろうか。 

さよなら、がっこう。


もうすぐ新しい年度が始まって、そこに私たちのいたがっこうの歴史は幕を閉じる。


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