草間彌生 永遠の永遠の永遠 2012/1/7-4/8 国立国際美術館@大阪 (ちょっと修正&加筆) [美術館 博物館]
4月6日。
久しぶりに大阪へ。
お目当ては、
草間彌生 永遠の永遠の永遠 2012/1/7-4/8 国立国際美術館@大阪
水玉の女王と呼ばれる彼女の作品は、無数の丸い玉が書かれていたり、無数の人の横顔がかかれていたり、ちょっとほかにはないインパクトがあります。
10歳の時に母親の絵を描いた時、すでにその絵には無数のドットが描かれていました。
顔から体から背景から。
美術館前入り口にはオブジェが配置されてました。ここからすでに水玉ワールドがはじまっています。
エスカレーターの吹き抜け部分は下のロビーから天井までオブジェが取り付けられて壮観です。
パーテーションも。かわいい!
内部で写真をとってもいいところが何ヶ所かありましたが、みんなウキウキしながら、ポップだけどどことなくぞわっとくる作品を楽しんでいました。
作品の中に込められたものは、草間さんの見ている風景。幼少のころから幻覚をよく見ていたとのことですが、これらは幻覚というよりは、彼女そのものなのですね。
作品として昇華しなければただの幻覚かもしれませんが、彼女が見ている風景をキャンバスに落としこむことで肉体のない彼女の本体が現れるのかもしれません。
表現するための肉体と、表現する道具である肉体。
60年代、彼女はハプニングと称されるパフォーマンスを繰り広げます。
奇抜な洋服を見にまとい、そこからさらにそれを取り去り、肉体そのものまでキャンバスに。
その前衛的な彼女の作品が放つエネルギーは当時の海外の若者たちやそれらをよしとしない古い世代までをも巻き込みました。
「愛はとこしえ」(Love Forever)と唱えながら、世界を彼女のエネルギーのうねりの中に巻き込んだのです。
つい最近まで私は彼女のことをよく知りませんでした。
美術館の中にあった彼女の作品集を何気なくめくって衝撃をうけました。
今回、彼女の作品の実物を目の当たりにして、さらに衝撃をうけてしまいました。
生きることへの不安と執着。常に自殺願望にとらわれている肉体の中の彼女。
すでに83歳という高齢になりましたが、作品への情熱は今も衰えていません。
生きるということがキャンバスに向かうこと。
死にたいという気持ちを越える芸術への野望がある限り、彼女は自ら命を絶つことはないでしょう。
おそらく作品を観たすべての人が体の中に何かがうごめく感覚を覚えることでしょう。
それは不安だけでなく、愛であったり、情熱であったり、希望であったり。
とにかく何かの感覚をくすぐられると思います。
作品の放つエネルギーによって連鎖反応を起こすように自分の中に何かがうごめくような気がしたら、いつの間にか彼女の中に迷い込んでしまったということでしょう。
無限に続くこと。それは私たちにとって、希望となるでしょうか。それとも不安となるでしょうか。
私なりの解釈で作品を鑑賞し、彼女へ想いをはせてみましたが、好き嫌いははっきり分かれると思いますので、ご了承下さい。
(※画家である友人の父は彼女の絵を「病原体みたいな絵」と言っていたとのことです。確かに!(笑) )
かわいらしいのにぞわっとくる。
そのときの自分の状態によってどっちに比重が高くなるかわからない。
そのスリリング感じが私には快感です。
写真撮影可能の作品
<大いなる巨大な南瓜>
ロビーからエスカレーターを降りてすぐにどーんと置かれている。
圧巻!
横に並んで記念撮影する人も。
<チューリップに愛をこめて、永遠に祈る>
空間すべてが作品。
壁も作品ですのでお手を触れないようお願いします(笑)
CMでもおなじみ。auケータイのiidaシリーズ。
めちゃくちゃかわいい!でも私はソフトバンクw
おまけ。
堂島ロールのモンシュシュで期間中(4/8(日)まで)特別に水玉のロールケーキを販売しています。
美術館の帰りに並んでいる人も多いんだろうな。
私は時間の都合で寄れませんでしたが、後、2日しかないので、興味のある方は是非。
久しぶりに大阪へ。
お目当ては、
草間彌生 永遠の永遠の永遠 2012/1/7-4/8 国立国際美術館@大阪
水玉の女王と呼ばれる彼女の作品は、無数の丸い玉が書かれていたり、無数の人の横顔がかかれていたり、ちょっとほかにはないインパクトがあります。
10歳の時に母親の絵を描いた時、すでにその絵には無数のドットが描かれていました。
顔から体から背景から。
美術館前入り口にはオブジェが配置されてました。ここからすでに水玉ワールドがはじまっています。
エスカレーターの吹き抜け部分は下のロビーから天井までオブジェが取り付けられて壮観です。
パーテーションも。かわいい!
内部で写真をとってもいいところが何ヶ所かありましたが、みんなウキウキしながら、ポップだけどどことなくぞわっとくる作品を楽しんでいました。
作品の中に込められたものは、草間さんの見ている風景。幼少のころから幻覚をよく見ていたとのことですが、これらは幻覚というよりは、彼女そのものなのですね。
作品として昇華しなければただの幻覚かもしれませんが、彼女が見ている風景をキャンバスに落としこむことで肉体のない彼女の本体が現れるのかもしれません。
表現するための肉体と、表現する道具である肉体。
60年代、彼女はハプニングと称されるパフォーマンスを繰り広げます。
奇抜な洋服を見にまとい、そこからさらにそれを取り去り、肉体そのものまでキャンバスに。
その前衛的な彼女の作品が放つエネルギーは当時の海外の若者たちやそれらをよしとしない古い世代までをも巻き込みました。
「愛はとこしえ」(Love Forever)と唱えながら、世界を彼女のエネルギーのうねりの中に巻き込んだのです。
つい最近まで私は彼女のことをよく知りませんでした。
美術館の中にあった彼女の作品集を何気なくめくって衝撃をうけました。
今回、彼女の作品の実物を目の当たりにして、さらに衝撃をうけてしまいました。
生きることへの不安と執着。常に自殺願望にとらわれている肉体の中の彼女。
すでに83歳という高齢になりましたが、作品への情熱は今も衰えていません。
生きるということがキャンバスに向かうこと。
死にたいという気持ちを越える芸術への野望がある限り、彼女は自ら命を絶つことはないでしょう。
おそらく作品を観たすべての人が体の中に何かがうごめく感覚を覚えることでしょう。
それは不安だけでなく、愛であったり、情熱であったり、希望であったり。
とにかく何かの感覚をくすぐられると思います。
作品の放つエネルギーによって連鎖反応を起こすように自分の中に何かがうごめくような気がしたら、いつの間にか彼女の中に迷い込んでしまったということでしょう。
無限に続くこと。それは私たちにとって、希望となるでしょうか。それとも不安となるでしょうか。
私なりの解釈で作品を鑑賞し、彼女へ想いをはせてみましたが、好き嫌いははっきり分かれると思いますので、ご了承下さい。
(※画家である友人の父は彼女の絵を「病原体みたいな絵」と言っていたとのことです。確かに!(笑) )
かわいらしいのにぞわっとくる。
そのときの自分の状態によってどっちに比重が高くなるかわからない。
そのスリリング感じが私には快感です。
写真撮影可能の作品
<大いなる巨大な南瓜>
ロビーからエスカレーターを降りてすぐにどーんと置かれている。
圧巻!
横に並んで記念撮影する人も。
<チューリップに愛をこめて、永遠に祈る>
空間すべてが作品。
壁も作品ですのでお手を触れないようお願いします(笑)
CMでもおなじみ。auケータイのiidaシリーズ。
めちゃくちゃかわいい!でも私はソフトバンクw
おまけ。
堂島ロールのモンシュシュで期間中(4/8(日)まで)特別に水玉のロールケーキを販売しています。
美術館の帰りに並んでいる人も多いんだろうな。
私は時間の都合で寄れませんでしたが、後、2日しかないので、興味のある方は是非。